2017年2月4日土曜日

駅長日記・番外編・・・思い S92-02-04

1971年 播但線 溝口駅
北条鉄道、長駅のボランティア駅長を拝命して早や5ヶ月が過ぎました。
この辺りで応募した本当の理由というか「思い」を書いておこうかなと思います。

キッカケは昨年の7月にボランティア駅長、サポーターを募集するので応募されてはどうですか?と鉄道側から連絡いただいたのが最初でした。

連絡いただいた時に元々思うところがあり、一瞬受けようかと思ったのですが、やはりまだまだ現役のサラリーマンでもあるし、ボランティアとは言えそれまで足繁く通っていたのとは違い無理だと判断してお断りしました。

ところが8月に恒例の小学校の同期生の飲み会の席で、その事を話すと鉄道写真家の友人の野沢くんたちから強く勧められ、自分の中にあった思いに再び火が灯った事で、締切の最終日に応募することになりました。

さて、その「思い」の話です。

1958年に兵庫県西宮市で産声を上げ、その後14才まで同じく川西市で過ごしたのちに姫路市香寺町に移り現在に至ります。

川西時代は能勢電鉄、阪急電鉄。香寺に移り住んでからは播但線と、常に鉄道と寄り添うような生活を続けてきました。
父親がクルマの免許を取らなかったので、移動の足は専ら鉄道でした。

幼稚園、小学校も当時は越境入学と言われてましたが、地元川西の学校ではなく大阪府池田市の学校に通っていた関係で、5才から定期券を持って通学していたのです。

当時はどんな小さな駅にでも駅員さんが常駐されていて駅務に励まれていました。
川西時代にはホームでローラスケートをしたりキャッチボールをしたりして、駅員さんに叱られたこともありましたが、通学の行き帰りには親切に声を掛けてもらったりして、駅員さんは優しいオジサンとのイメージが強く、そして未だに残っています。

そして香寺に移った1972年は鉄道開通100年の節目の年と、既に全国各地で進んでいた無煙化(蒸気機関車廃止)が相まって空前の(大層か?)SL(蒸気機関車)ブームでした。
元々機関車好きであった自分は毎日のように父親のカメラを持ち歩き、機関車の写真を撮ってました。

当然、最寄りの駅にも行くわけですが、その時には必ず入場券を買って入るようにと親から小銭を貰います。
当時は券売機など無く駅の窓口で買うのが普通でしたので、入場券を買おうとすると、駅員さんは「ポケットにしもとけ、入って好きなだけ撮ったらエエ」と言ってくれました。
そんな事も何度か経験したり、それ以外にもやはり親切に声を掛けてもらったりしながら撮影を楽しんでましたね。

また機関士や機関助士の方とも顔見知りになり、停車時間が長い時などには運転席に入らせてもらったり、鉄道にまつわる面白い話を聞かせてもらったりしたものです。
それは最寄りの駅だけでなくて、他の駅でも同じように親切にしてもらったという思い出が残っています。

国鉄関係で唯一叱られた記憶は、最寄りの駅のラッチ(改札口)に掛けられてた改札鋏を触ったときくらいかな?

・・・と、まぁ他愛のない話ではありますが、駅には駅員さんが居る、それが当たり前の時代だったんです。
しかし、やがて合理化の波が押し寄せてきます。
その後、高校、大学、そして社会人と通学や生活の足として利用し続けるわけですが、徐々に最寄りの駅をはじめ各駅の駅員さんの数も減り、ついには無人駅に・・・

長年に渡って少しずつ変化していったわけですが、かつては当たり前であったことが、そうでなくなったことに気付いたときには世の中の他の部分でも、そういった人と人のふれあいの部分が欠如してしまっていたのです。

やがて自分もクルマが普段の足となり、鉄道を利用することは年に数回。
もう駅に人が居ないということさえ当たり前になり意識もしないようになっていました。

それが2014年の秋に変化が訪れるのです。
NHK BSプレミアムで現在も放送されている「鉄道紀行 中井精也のてつたび」で北条鉄道が取り上げられた回(再放送分)を、元々、中井精也氏のファンであったので出演される番組を検索録画していた中で見つけたのです。

その番組の中で注目したのが法華口駅とそこでボランティア駅長をされている北垣美也子さんでした。
特に番組ラストのくだりは今だに思い出すだけでウルッと来てしまいます。

北条鉄道は加古川線の支線の頃から当然知ってはいましたが、足として利用するでもなく、姫路に出かけた帰りに北条町に用事があるときに、ちょうど法華口駅の南側の踏切を渡る時に傾いたホームの柱、朽ちかけた農業倉庫、そして極たまに踏切に引っ掛かり、バス(レールバス、フラワ1985)が線路を走る様子が印象に残っていたくらいで、気にはなっても訪れようとはしなかったです。
ところがその番組を見た時に何とも懐かしい気持ちに襲われ、居てもたっても居られなくなり録画を見た週の終わりに訪れることになるのです。

当時は前出の写真家の野沢くんとも、その2年前に37年振りの再会を果たして、しかも鉄道写真家として活躍をしているとのことで、逆に感化されて自分も40年振りに播但線の車両などを撮っていましたので、クルマでサッと行って撮っても良かったのですが、なぜかそれよりも、まず乗ってみたい、そして列車で法華口駅に行きたいと思ったのです。

その日はクルマで北条町に向い市営駐車場にクルマを停めて上りの始発列車に乗りました。
車両はレールバスと言われていたものから立派な?気動車に変わっていましたが、乗り心地は想像していた以上に揺れて、レールの継ぎ目の音も懐かしく、運転席横から前照灯に照らされる線路を見つめていました。

やがて法華口駅に到着しホームに降り立ったのですが、降りた瞬間に何とも言えない感情に襲われました。
初めて来たのはずなのに懐かしい・・・
確かに駅舎そのものは鉄道省時代の規格に則ったものなので馴染み深いのは当然なのですが、それに増して空気感というものがそう言う気分にさせてくれたのだと思います。

待合室に入った時には内部は改装されていたので若干そういった気分は削がれたものの、外気とは明らかに違う暖かさ、そして早朝からパンを焼かれていたのでしょう、何とも香ばしい香りが重なって、また違った思いに駆られました。

その日はお会い出来ませんでしたが、そう長くない間に北垣さんとも会うことが出来、思った以上に魅力のある方だと分かり、以降毎週末には必ず訪れるようになりました。

駅舎の持つ雰囲気、北垣さんの魅力もさることながら、何よりも駅に人が居るということが自分の中に仕舞い込んでいた思いを蘇らせてくれたのです。

そして、いつの頃からか何か恩返し的なことが出来ないかと思うようになり、微力ではありますがSNSやブログで紹介するようになったのです。
・・・恩返しって書くと大層な感じですが、何でしょうね、自分がかつて良くして頂いた鉄道、そして再びその思いを蘇らせてくれた北条鉄道に対してなのかは分からないのですが、何かそうしなければ、みたいなことが「思い」に繋がっていったのは確かです。

ボランティア駅長に応募し、その面接にあたって思いをどう伝えるか考えました。
自分もこれまでに色々なことをしてきたので、抽斗の数はそこそこあります。
しかし、そんなことは後の話で、まずは駅員になりたい・・・その部分を中心にいこうと面接に臨みました。

希望する駅は書類には第一希望を播磨下里駅、次いで長駅・・・ようするに古い駅舎の駅を希望したのです。
その件については希望は叶わず、第二希望の長駅を強く勧められました。
それは素直にのませて頂き、次に何をしたいか?と聞かれたので、国鉄時代の服装も含めた雰囲気で務めたいと話しました。

しかしながら、それをしてもらうに当たってはボランティア駅長の基本的な月に2回以上担当駅に赴き1、2時間居るだけでは形にならないのでは?と言われたので、もしも自分の希望を採っていただけるなら毎週1回始発から相当時間(とりあえず暗くなるまで)務めさせていただきますと答えました・・・それで「採用」と相成ったわけです。

そこからが大変で制服、手回り品などの収集にひと苦労します。
国鉄時代のと言っても、すでにJRに変わって30年です、未使用品であっても傷みがヒドく高価です。
しかし、そこでもいろいろな「縁」に助けられて一応の形はできました。

立ち居振る舞いというものは自分自身がかつて日常生活で見てきた駅員さんの姿が原形になっています。
あと指差喚呼など専門的な事については聞いたり調べたり、もちろんあの映画も参考にさせていただきました(カッコよすぎて参考になりませんw)。

そしてまもなく半年、色々な意見も頂戴したり、SNSでの反応も見てきました。
なかでも地元の方との何気ないやり取りのなかでの反応は自分にとっては嬉しい限りでした。
たとえ週に1日だけでも駅に活気が出てきたのが嬉しいとか、本物の駅員さんが来たと思ったと聞いた時にはホンマに嬉しかったですよ。

他の駅の駅ノートに苦情めいた事を書かれて鉄道から連絡があった時も「駅員が」と書かれていたのを知り、不適切ではありますが嬉しく思いました。

毎週のように知人、友人の方々も訪れてくれていてホンマに有り難いと思っています。
駅に人がいることで、また新たに人が来ることも、皆さんのお陰で経験できました。
それと新たな出会いや再会も多々ありました。

あと、家族からの、特に母親や息子の後押しには感謝しています。
母親はかつて兄弟、親戚に鉄道関係者が多数いたこともあるからでしょうか、もしかしたら自分は職業選択を誤ったのかな?とも思えるほどです。

息子もコートを入手しようとしていた時に色々力になってくれました。
冬季突入寸前に間に合って良かったです。

そんな事で駅舎内に入ると好き勝手なことをして過ごしていますが、一旦ホームに出ると駅員さんになり切るよう頑張っております。
人によってはただのコスプレのオッサンにしか映らないかもしれませんし、聞けば正直ムカッときますが、まぁそれは仕方がないでしょう、笑い飛ばして頑張ります。

最後に、やはりこういう機会を与えてもらったきっかけになった北垣さんへの感謝でしょうね。
面と向かって言うのも照れくさいし、そんなこと言っても笑い飛ばされるだけなので言いませんが。
この投稿を見ることがあれば、また笑ってもらえたら嬉しいですわ。

とにかくそういう「思い」を胸に任期の2年はやり通すつもりでいますので、よろしくお願いします。
長ったらしい文字ばかりの記事に最後までお付き合い頂きありがとうございました。
やらせてもらうようになって、一段と時間が経つのが早くなりました、これって良い事なのでしょうかね・・・、ワハハハハ!

0 件のコメント:

コメントを投稿

駅長日記vol.91 2018-08-11

05時48分、外気温24℃、曇り(視程 可)、上り始発列車フラワ2000-1、S江運転士。 世間はお盆休み突入…ですね。 乗客の皆さんの様子を拝見すると家族連れの方が多かったと思います。 相変わらず猛暑が続いていますがいつまで続くんでしょうね(^_^;) 冷房漬け...